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金日成主席の隠された経歴2 [本]

 

 前記事「金日成主席の隠された経歴」からの続きです。

当時の周辺地図は下のページの中ほどにあります。

 http://www5.ocn.ne.jp/~iranka/kinnissei.html

 

1930年、18歳のころの金聖柱が金一星という名をこのんで用い、そしてそんな彼を有名にした二つの事件とはなにか・・

一つは「吉黒農民同盟事件」である。
極左の旋風が吹き荒れたこの時期、「反動分子の摘発とその処断」というのが流行していた。左傾化した多くの青年たちは盲目的に暴れまわっていたが、金聖柱のように性質が荒っぽく、なんでも先頭に立ちたがる青年にはなおさらであった。
彼は真っ先に立って反動分子の処断に蛮勇をふるった。彼は五家子から2キロくらい離れた場所に住む鄭氏という韓人を査問するからと言って五家子に連行する途中、有無を言わさず絞殺してしまった。また、五家子で別の中国人二人を反動だといって直接殴り殺した。その他にも多くの人命を奪った。この一連の事件を
「吉黒農民同盟事件」といった。

(この事件のあった1930年は、「5・30間島暴動事件」「8・1敦化暴動事件」さらに延吉県銅仏寺では「殺父会事件」という、世界の共産主義運動史上でも全く類例のない事件まで発生した。
 銅仏寺という所に韓人農民が多く住んでいたが、ここでも共産主義運動が盛んであった。「青年たちが共産革命を口実に暴れ歩くのは危ない」と父親たちが自嘲するように言ったところ、それを反動だと決めつけて、「殺父会」という途方もない組織をつくりあげ、一夜のうちに270人の父親を相互に殺害してしまった。)

「吉黒農民同盟事件」の主犯の一人である金聖柱はいち早く逃れ、逮捕されなかった。
1930年末、李鐘洛の部下たちは軍資金調達のため、ある金持ちの家を略奪しようとしていたが計画が事前にばれ、ほぼ全員が逮捕された。
それにより、部隊は再起不能になったが、五家子を逃れていた金聖柱は、李鐘洛が逮捕されたことを知ると急ぎ、五家子にとって返し、税金を徴収し、再び矢のように五家子を離れた。

そしてもう一つの事件は小隊長一行惨殺事件である。

五家子を離れた金聖柱は中学時代からの親友、張亜青と共にハルピンに行き、ソ連留学を試みたが中国共産党から認められるような経歴がなかったため、許可は出なかった。
やむなく撫松に行くことにした二人は、途中五家子から2.4キロあまり離れ公主嶺に入り、匪賊の頭目、曺全勝から拳銃を買った。曺全勝は日本人、木寺から武器を購入するルートを持っており、「関東軍」の手先として匪賊たちに武器を売る中間業者であった。「関東軍」は武器の販売を通じて匪賊たちを操縦し、必要な時に彼らをよく利用した。

1931年の初夏、撫松に姿を現した金聖柱と張亜青は、ピストルで武装し徒党を組み、同年輩の者を集めて「革命のための武装」を口実に武器の略奪を始めた。当時、中国人の家庭では殆ど警護用の銃を持っていたので、それを強奪して仲間に分け与えた。
当時、金持ちは殆ど中国人であったから、中国人の口から朝鮮奴の金一星一刀の略奪で、これ以上は耐えられない」という非難の声がわきあがった。

 撫松には朝鮮革命軍の中隊長を歴任した張致旭という人が住んでいた。彼はその雰囲気を見て、「金聖柱一党の不埒な行動を韓人の手で対峙しない限り、中国人らの韓人排斥運動が起こって撫松一帯の韓人の立場が困難なものになる」と考えた。
そこで、1932年2月、彼は興京県旺清門にある朝鮮革命軍の本部を訪れ、その事情を報告した。

金聖柱一党を退治するように命令を受けた小隊長・高東雷はピストルで武装した9人の隊員を連れて出発、雪で険しく厳しい(10・4キロ)の道程で、疲労困憊した隊は当日の夜は枕の下にピストルをしまい、深い眠りに落ちた。金聖柱一党は深い眠りに落ちた隊を奇襲、またたく間に10人を皆殺しにし、ピストルを奪って逃亡した。
革命軍は衝撃を受け、討伐の気勢をあげたが、日本軍がいつ国民政府の管轄地域に進撃してくるかわからないという状況であったから、どうすることもできなかった。

1932年3月1日、日本は満州国を樹立、支配権の確立に拍車を加えた。
このように北朝鮮の金日成主席・金聖柱の生い立ちには、常に大日本帝国の大陸侵略という背景画の上に描かれている。

この年の夏の初め、意外にも金聖柱が朝鮮革命本部を訪れる。同年輩の同僚数人と同行し、金一星と名乗っていた。彼らは高東雷一行を惨殺してから撫松を離れ、各地を巡って見たが、自分たちの足場を見つけることはできなかった。
周りでは反満抗日の中国人義兵が決起する中で、若い者たち、とくに所属不明の韓人青年が武器を持って歩いていると、「日本軍の手先だ」と誤解される恐れがあったために、朝鮮革命本部を訪れたとき彼らは武器は捨てていた。

金聖柱は、「高東雷一行を殺した罪を許してくれるなら、死んだ人達のの代わりにその仕事をやるから、革命軍に服務させてくれるように」と願い出た。並大抵の神経でできることではない。いかに取り扱うか議論が行われたが、総司令は許すという決断を下し、まず、雑役をさせた。しかし、いくばくもしないうちに金聖柱は「中隊長か小隊長に任命してくれるように」と申し出た。司令は要求を退け、「まず与えられた仕事からやるように」と諭したが、自分が信用されていないことを、これから信用を得るには容易でないことを直感し、何の予告もなく去った。その間一月もたっていない。

その頃、聖柱の母はこの世を去る。

満州事変(1931年9月)の前後、多くの色々な抗日部隊が各地に散在していた。1934年2月現在で115の抗日部隊があり、その規模は2、30人から100、200人の者もあった。これらの部隊の構成は、前東北政権の軍人達が主軸の場合と、その軍人達に農民たちが加わった場合と、昔から満州の名物であった匪賊が変身した場合など様々だった。

勉強不足で申し訳ないですが、東北政権とはおそらく、朝鮮が日本帝国によって併合されたときに満州に亡命して、国を再興しようとした韓人の政権だと思います。)

このような抗日戦線に共産主義者たちが参加するのは、1933年、南満で「東北人民軍革命第一軍第一師」が発足してからである。韓人と中国人の混成部隊であった。

1933年、34年は全東北政権系の抗日部隊が力尽き、東北人民革命軍が台頭し始めた。そのなか、金聖柱が参加したとされる呉義成部隊は長い間保たれた。しかし、1937年、ソ連国境の東寧県に位置していたが、10月にとうとう部下80人を引き連れてソ連に退却した。
この呉義成部隊に所属していただろう時期の資料はあまり十分ではない。
1936年、呉義成部隊が東北抗日軍と合同作戦を展開したときに彼の実弟、金英柱が満州国警察に逮捕され、東北抗日連軍、第二軍第六師 金日成部隊に金一星(金聖柱)がいるのが確認されている。


金聖柱が東北抗日連軍で中間幹部ぐらいであったとすれば、当然ソ連に往来した可能性も十分あった。ソ連はウスリー江を挟んで、東北抗日軍を積極的に支援していた。
1東北抗日連軍に対するソ連内の韓中系軍官の派遣
2戦況不利な時の東北抗日連隊員のソ連内逃避
3ソ連での東北抗日連軍隊員の訓練
4東北抗日連軍傷病者のソ連内収容治療
5隊員の家族のソ連内収容
6武器・弾薬・物資・資金の支援
7特別かく乱工作の支援
8情報操作の援助
9ソ連人軍事指導員の派遣

従って、金聖柱も1,2度ソ連に出入りした可能性があるように思われるが、裏付ける記録は発見されていない。しかし、東北抗日軍が崩壊してバラバラにソ連に逃避したときは彼も入ソするほかなかった。1940年末から1941年初めのことである。
彼らのうち、選抜されたものは、ハバロフスク近くのソ連極東軍区偵察局第88特別旅団に収容されて、無電技術、落下傘訓練等特務工作員として訓練を受けた。日本と戦争が始まった場合の後方撹乱要員としての教育であった。金聖柱も1945年8月15日解放後に平壌に現れた時にこの教育を受けたことを自慢話として話した。(彼の工作員としての記録は見つかっていない。)

1945年に日本が降伏すると、彼はソ連軍の船で北朝鮮に派遣されてきた。彼が学んだ特務工作技術は日本を敗北させるためではなく、北朝鮮人民を全方位統制体制で縛りつける手段として使われ始めた。

 続く

 


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金日成主席の隠された経歴 [本]

 

金日成主席の隠された経歴―20世紀最後の独裁者

 

偶然、図書館で見つけた本である。
この本について書いた記事はないかとネット上探すが見つからない。
内容についても同様である。
そこで、この本の内容について書くことにする。

さて、この本に金日成(金聖柱)の本性がきっちり書かれている。
しかし、古い本であるにも関わらず、この知識が今の日本で共有されているかというと、とてもそうは思えない。(実際私も怪しげであるとは思っていたが、よく知らなかった。)
というわけで、広報効果としては微々たるものであるかもしれないが、書いてみる。
もちろん、全部を詳細に書くことはできないので、興味を持った方は図書館か、中古で見つけて読んでほしい。


北朝鮮の金日成主席の本名は金聖柱(キムソンジュ)
1912年平安南道大同郡古平面南里(萬景台)で生まれた。
彼の父、金亭稷(キムヒョンジク)は中学校まで通うことができ、教職に就いた。
1918年、国境地帯である平安北道中江鎭に移り住み、そこで「3・1運動」を迎え、「万歳示威」を指揮した。
3・1運動 
WIKIへ 
 http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/k-textbook/3-1jiken.html

1919年、5月 鴨緑江を渡り、満州の地、臨江県帽児山に移った。
漢方医として生計を立て始めた。
5・1運動の熱気も治まり、人々は生業にいそしむようになった。
父、亭稷は長白県八道溝に引っ越し、漢方医としての基盤を築き上げ、富を作り始めた。
そして、平安南道大同郡龍山面下里(チルゴル)の妻の里に預けた息子、聖柱を連れ出し、「八道溝小学校」に入学させた。
1923年の春、聖柱を再び妻の里に送り、その村の「彰徳小学校」の3年に編入させた。
1925年、5年に進級した聖柱を再び満州に呼び戻した。
父、金亭稷は長白県全体を通じて、移住した韓人の中で二人しかいない有力者の一人として、指折りの財産家になった。
その頃、長白県から西にやや遠く離れた撫松県撫松に移住。

撫松に民族主義独立団体である正義府系統の「白山武士団」という組織があった。団長は、1909年の抗日義兵闘争の義兵将、金虎。
金虎は「白山学校」という武官学校を建てて青年たちを教育していた。
聖柱の父、金亭稷は白山武士団に加入していた。

1926年、撫松から西(9キロほど)にある「華成義塾」に
金聖柱は入学、しかし、入学して間もなく父の急逝により中退。

父、金亭稷の死は共産党のテロによるものである。
満州の韓人社会に共産主義運動が広がったのは、1921年、李東輝が上海で「高麗共産党」を発足してからである。
満州における韓人共産主義運動は、初めから極左的で、強奪、殺傷、拉致などは日常茶飯事で会った。
東満地方において、馬賊によると被害と共産主義者による被害は大差がなかった。
満州における韓人共産主義運動と、愛国的民族主義との関係は最初から敵同士の関係であった。そのために両者の間には血みどろの戦いが幾度となく展開された。
金聖柱の父、金亭稷は共産主義を非常に嫌っていた。彼は共産主義者には薬を施すことも拒んだ。そのため、怨みを抱いた共産主義者達がついに彼を殺害するに至った。

少年金聖柱は家に戻らざるを得なかった。未亡人の母、34歳、10歳と4歳の弟が彼を待っていた。長男金聖柱は14歳であった。

彼は、世の中の動きについていきたいばかりに撫松一帯を横行していた”馬骨”という共産主義暴力団に加わるようになった。
”馬骨”という自称共産主義革命家は、当時の韓人社会の作法通りに、群れをなしては方々をめぐり、中国人、韓人を問わず、金持ちの家をかすめたり、また指示どおりに従わない人を「反動分子だ」として、危害を加えていた。
この馬骨徒党の狼藉が正義府(独立運動期間であり、韓人自治機関)に報告され、討伐部隊が到着すると、他の徒党は逃げてしまい、金聖柱だけが捕まった。
討伐部隊の隊長、李鐘洛は金聖柱が金亭稷の息子であり、怜悧な少年であることを見て、奉天にある中国人の「平旦中学校」に入れてやった。

「平旦中学校」に入学したあとも、馬骨徒党に加わって気性の荒くなった彼は位学期の途中で退学となる。
家族で安図に引っ越し、家族を世話してくれつ人が現れ、金聖柱は吉林の中国人学校「毓文中学校」に通えるようになった。(1927~1928)

1920年代は韓人社会に共産主義運動は広がり、民族主義運動との間における組織基盤の争奪戦が激しくなっていった。
1929年、17歳になった金聖柱にもその手が伸び、共産主義の集いに参加することになっていたが、これらの動きを把握した日帝の吉林総領事警察のために参加メンバーの大部分が検挙される。
金聖柱はうまく吉林を抜け出すことに成功した。

金聖柱は、以前彼を救ってくれた李鐘洛を訪ねて、その部隊に参加する。
1929年、正義府を主軸として国民府が誕生した。
正義府の武装力はそのまま国民府に移管し、李鐘洛は2,30人の部隊長であった。しかし、李鐘洛は、民族主義路線を捨て、共産主義路線に傾いていた。
国民府が誕生する前後、民族主義から共産主義に転向するものは少なくなかった。これらの人々は国民府そのものを共産主義革命団体に転換させようとして、国民府内で革新派を形成した。

李鐘洛は、長春にある日本領事館の機密を探知する工作を展開する一方、共産主義スローガンを掲げた『吉黒農民同盟」なるものを組織して、近隣の農村に浸透し始めていた。
李鐘洛は当時30歳ぐらい、言葉が巧みでしっかりとした人であったが、自分の主張に従わない者に対しては無慈悲であった。『農民同盟』に素直に加入しないものに対しては「反動分子」または「日帝の手先」として、場合によっては厳罰を持って処断した。
金聖柱もこの頃、初めてピストルを身につけ、組織を拡張して歩いた。

五家子一帯の韓人たちの自治組織が武力を背景とする李鐘洛の『吉黒農民同盟』に変わっていき、民族主義独立運動の基盤が、共産主義革命運動の基盤に置き換えられていった。
李鐘洛は学校の教員に共産主義教育の実施を強要、民族主義理論家として名高い高而虚を金聖柱を使い脅迫した。
高は身辺の危険を感じ、五家子にとどまることができなった。

李鐘洛の隊から金聖柱他五名が、「南満州学院」に入学した。
この南満学院は独立運動の基幹要員を養成する特殊な学校であったが、大部分の講師が共産主義思想に変わっていたので、大きく変容していた。
そこに金聖柱らが加わり、反国民府の根拠地同然であった。
彼らの主張は「祖国の独立」ではなく「共産主義革命」であった。

1930年、南満学院粛清があり、逮捕されたもの、殺傷されたものもいたが、金聖柱は素早く逃げ、李鐘洛のところに戻った。
李鐘洛は、国民府の軍隊が朝鮮革命軍に自動的に移行されたから、朝鮮革命軍の小隊長であった。
しかし、彼は朝鮮革命党や朝鮮革命軍の指示に構うことなく、自派勢力の拡大に没頭し、反国民政府的でますます共産主義に傾いていった。

李鐘洛は時勢にのって「中国共産党」の暴動路線へ支持を掲げ、中共党への参加を試みたが、党歴もなく、時勢に便乗する者と見られ、果たせなかった。
そこで、「吉黒農民同盟」を強化して近隣農民に支配力を振うしかなかった。


1930年ごろ、金聖柱は相変わらず李鐘洛の部下として「吉黒農民同盟」の仕事をしていた。
この頃、名前を「金一星」とする。
このことが、在満韓人共産主義運動線上に3人の「金一星」を誕生させた。


一人の金一星は(本名 金奉煥)は、北満で1930年一月、独立運動の巨星、金左鎮将軍を殺害して、その時に彼自身も殴り殺された。
もう一人は、東満、龍井の大成中学校の学生で、5・30間島暴動のとき、行動隊長として逮捕されたが、脱獄、ソ連に行き士官学校を卒業して「東北抗日連軍」で活躍、1930年代末に同軍第一路軍第2方面軍長の金日成としてとったものである。
あと一人の金一星は、1930年11月ごろから五家子で、金一星として別名を使い始めた金聖柱のこと。

金聖柱が金一星(イルソン)という名を用いるようになったため、後日、東北抗日連軍に加わるようになってから、その名の発音が同じ同軍の「第一路第二軍第六師長・金日成(キムイルソン)と、その後継者の「第一路軍第二方面軍長 金日成」と混同されるようになった。

 この二人の金日成は、東北抗日連軍の幹部として有名になるまでは、韓人社会にその名が知れ渡る機会はあまりなかった。
しかし、金聖柱は、東北抗日連軍に加わる前、二つの驚くべき事件により韓人社会にその名前を知られるようになっていた。

続く


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貧困大国Ⅱ 刑務所ビジネス≒人間牧場出現・・?? [本]

 

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

  • 作者: 堤 未果
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/01/21
  • メディア: 新書

 

この本、今年1月出版されていたけれど、前作と同じ題名、装丁同じでⅡだけだったので、気がつかなかった。まあ、マヌケな自分であるが、もしかしたら他にもそういう人がいるかも・・・

 内容については書かれている方が他にもたくさんおられるので、はしょる。

いきなり自分の感想にいく。

この本の中で、自分が一番驚いたのは刑務所ビジネスである。

こちらのブログが詳しいので、引用させていただく。


志村健世のブログ

刑務所の民営化とはどういうことなのか、アメリカで導入されて成功しているという話を聞いてはいましたが、その実体は驚くべきもののようです。オバマ以後のアメリカの街頭では、ホームレスの姿は減ったように見えるそうですが、その人たちは塀の中に入ったのです。多くの自治体の条例で、ホームレス暮らし自体を違法とする傾向が強まり、教会など慈善団体による炊き出しにも規制が加えられるようになりました。
 

 住宅ローンの破綻などで自宅を追い出される困窮者は増えていますが、当然ながら生活の受け皿はありません。カードが使えず就職が困難であれば、一流企業で働いていた人でも簡単に貧困に陥ります。違法行為者として逮捕される人の中で、白人の比率が高まっているそうです。一度刑務所に入ると、刑期を終って出所してからの就職は絶望的になります。すぐに累犯者として刑務所に舞い戻るしかありません。

 それに対処して、「スリーストライク法」なる条例が多くの州で作られ、有罪判決が3回になると自動的に終身刑を課せられるようになりました。囚人という新しい奴隷身分の誕生です。刑務所での懲役では、通常の雇用のほぼ10分の1の安い賃金での労働が義務になります。ここに刑務所ビジネスがローリスクでハイリターンの成長産業になる理由があります。刑務所雇用で囚人にも使用者にも評判がよいのは、電話のコールセンターの仕事だということです。一流通信企業の「お客様ダイヤル」のオペレーターは、囚人なのです。

 
 警察は取り締まりの強化と逮捕率の向上で成績を上げ、自治体は安全になったとして市民から好評を受けます。ホームレスになれば逮捕されるという恐怖心は、貧困層をどんなに劣悪な条件でも喜んで働くように仕向ける何よりの圧力になります。自由競争、自己責任、格差拡大社会の完成形は、囚人という名の奴隷制度の復活でした

  オバマ大統領が唱えた「チェンジ」とは、もちろんこんな状態とは反対のことだったでしょう。しかし資本のメカニズムは、簡単には変えられないのです。かつてオバマに期待して投票した人たちは、「大統領を選ぶだけで一仕事終ったように思ったのは間違いだった。本当の仕事は、大統領になったオバマを私たちが望んだように動かすことだった。」と反省しているということです。政権交代に熱をあげた私たちにとっても、決して他人事ではありません。

  http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=2922888

*太字強調は当ブログ主による。


青字は「ルポ貧困大国Ⅱ」から。

 「刑務所が囚人たちの押し付ける負担範囲は拡大する一方です。囚人たちは用を足すときに使うトイレットペーパーた図書館の利用、部屋代や食費、最低レベルの医療サービス等本来無料であるべき部分まで請求されています。」

「刑務所内の労働は苛酷でした。手術直後や瀕死の重病でない限り、車いすの囚人でさえ、労働が科せられるです。時給は12セント。賃上げは一切ありません。ですが、生活に必要な健康や衛生関連の備品は自費で買わねばならず、負債はどんどん増加します。」

 

実際に犯罪率が上昇しているかというと、むしろ減少している。また、暴力犯罪も全体の14%以下で、傷害犯罪は3%以下であるという。カリフォルニア州で刑務所送りになった犯罪の罪状トップスリ―は、上位から薬物所持、薬物販売、窃盗、と凶悪犯罪ではない。むしろ、マスコミがテロや凶悪犯罪に対する恐怖を煽っている。結果、警備会社が儲かり、取り締まりを厳しくというムードをつくっている。

連邦刑務所の製品の全米市場におけるシェア

(Wall Streat Journal,July 22,1999)

 組立器具              98%

 防具                 46%

 組み立て家具           36%

 スピーカー、へッドフォン、マイク 30%

 電気製品              18%

 オフイス家具            17%  (同書より)

  

 1989年、オハイオ州の州刑務所が自動車関連会社のウ―スティック社と契約し、約60人の囚人が海外の大手自動車会社の車部品組み立て業務に使われていたことを知ったUAW(全米自動車労組)は、刑務所労働に対する組織的抗議行動を行った。時給30ドルの組合労働者が、州のコミッションを合わせても時給2ドルの囚人労働者に勝てるはずがない。

(中略) 

またノースカロライナ州では12の刑務所が約650人の囚人を「最安価労働力」として市町村にレンタルしている。

(中略)

「もし、勤務態度が悪いと言われてクビになったら最後、奴隷のような超低賃金の重労働に転落でしからね。そして自分の後釜を狙う囚人は山ほどいる。後略」

前作も衝撃的だったが、今回もさらに衝撃的だ。しかし、このような状況でも立ち上がろうとしている人たちもいる。ネットを駆使して繋がる若者たち、オバマにCHENGEしてもらうのでなく、オバマを動かそうMOVEしようとするピンクコードというピンク色を身に付けた女性たち。

「立ち上がれ日本」は立ち枯れとか言われているが、もはや政治家に頼るのではなく自分たちがたちあがなければと行動している人達がいる。

今の日本の状況では、現在のアメリカのようになるとは予想できない。(結構日本もひどい状況だけどね)しかし、対岸の火事の如く、知らん顔をしていたら、極めて短時間の間に同じようになっていたということになりかねないだろう。

ここにはあまり書かなかったが、学資ローンで破たんする若者が増えている。この学資ローン、高利のうえに消費者保護法がかからない。この学資ローンビジネスは中流層を最大のターゲットにしている。

 「初めから進学を視野に入れていない貧困層と違って、年間数千ドルの学費で公立大学を卒業した世代に育てられた中流層は、大学進学を当たり前のことだと思っている。その上、何度も改正されて非常に複雑になっているローンスステムを親子そろって理解していません。彼等は労働市場の急激な変化に頭がついていかず、自分はマクドナルドで働く高卒の人々とは違うという自尊心をもっている。

学位さえあれば社会に出てから望む仕事に就けるという幻想を今も抱いている人々は金融機関にとって最大のカモなのです。」

まったくもって、巧妙な商売を考え出すものである。

刑務所ビジネスについても刑務所REIT(不動産投資信託)というのがある。刑務所の建物と土地を所有してテナントに賃貸する。テナントは主に州の自治体、契約期間は十年、中途解約不能、管理費、修繕費テナント持、おいしい商売だそうである。

建設費用のスポンサーはウオール街の金融大手。民営刑務所の最大手のCCAはメリル・リンチ、アメリカン・エキスプレス、シェアソン・リーマンがバックアップ。中間業者もいて州、中間業者、CCA、投資家、全員が儲かる仕組みになっている。

まさに刑務所ビジネスは現代版奴隷制度である。

《 陰謀論者の一部(自分もそうか・・笑)が内戦とかがあって従わない人間は強制収容所に入れられるなんて言ってたけど、なんのことはない現在進行形であった・・・》

巧妙な手口を使うという点において、どうやら支配者階級の方が数段上である。

 

さて、どうしてくれようか・・

情報や知識をシャットダウンして安楽な自分の世界に閉じこもってこのままこの世界の流れに身を任せるも、できる限りの自分の思考力、想像力、創造力等を総動員してこの世の矛盾を打ち破ることに挑戦するも、それぞれの自由である。

 

(追記) 

最後に。

11月中旬に新しい戦争税導入案の詳細が発表された。

これによって、年間1000億ドル(十兆円)の軍事費と1600億ドル(16兆円)の民間請負会社への発注費用、計2600億ドル(26兆円)という莫大な戦争費用が税金で賄えることになる。

オハイオ州選出のデニス・クシニッち民主党下院議員は、この案について「すでに国民がいさめた税金の大半は、国民生活のためではなく戦争に使われている」と批判した。

「国内には4200万人の飢餓人口と4700万人の無保険者がいる。1500万人が職にあぶれ、1000万人が家を差し押さえられそうになっている。財界へ流れた分と戦争予算のしわ寄せを受けて拡大する国内と貧困と失業者こそが、大量破壊兵器ではないか」

住宅ローンや教育ローンで破たんした人が傭兵会社に雇われて派遣社員として戦争に行く、帰ってきてホームレスになり、街角から追い立てられて刑務所に入る。持家や将来に夢を託した人がさ神徒を転げ落ちていく・・・

でもこんな世を創ったのは、一流大学での超エリートたちではないのかね?


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共通テーマ:日記・雑感

「7・5ウイグル事件虐殺の真実」を読んで中国のことがわかった。 [本]

 

著者は世界ウイグル会議日本代表である。

著者は中国政府に弾圧されているウイグル民族のことを知ってもらいたい、理解してもらいたいと思って、この本を書いたのであろうが、私は中国のことがよくわかった気がする。そしてウイグルについてはもう少し、客観的情報が欲しいと思った。

 中国のことがよくわかるというのは筆者の立場のせいであろう。漢民族であれば自分の国を客観的にとらえるというのは難しい。情報量が多かったり、思い込みがありすぎて大局的に見れないだろう。それはどこの民族も国民もだいたい同じである。

筆者はウイグルで生まれ、育ち、少々距離があるところから文化大革命や経済改革路線を経験したり見ている。

この視点は非常に有効であろう。表題にー日本でも起きるーという物騒な言葉が並んでいるが、ウイグルは中国の西隣、日本は中国の東隣、その位置関係からして自分達の民族にふりかかった中国政府の移民政策、弾圧、虐殺等が日本でも起きる可能性があると言いたいようだ。

中国はウイグル・チベットといった周辺民族を弾圧しているが、では自国の中の漢民族を大切にしているかというとそんなことは全然ない。全国で起きる暴動数は相当な数に上るようだ。ただ、それが報道されないだけである。

沿岸部は比較的に豊かになり、豊かさを享受しているようであるがそれ以外の地域(主に農村)との格差はうまらない。

 

俗にいう「沿海都市はヨーロッパ、内陸部はアフリカ」の例えどおり、都市と農村の二重構造による地域格差の大きい中国。所得水準で見ると、「4つの世界」に大別できると言われる。

 まず、「第1の世界」が購買力平価による所得水準が先進国に近い上海や北京、深セン、「第2」が世界の国別平均を上回る水準に達した華南地域の広東省や上海に隣接する江蘇・浙江省など、「第3」が発展途上国の段階にとどまる内陸の省、そして「第4」がチベットや貴州省などの最貧困地域である。

【わかるかも中国人】(16)
中国的「格差社会」の実像
ニューリッチから出稼ぎ労働者までのお宅訪問

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070112/116831/

この記事の中の写真を見ると一目瞭然だ。

(日本もこのところ新たな階層社会が出現しつつあるようにも感じるが)

 

オリンピックの閉会式を見ていて後半部分は嫌になって消してしまった。嫌でよく見ていなかったが誰かおじさんメッセージに会場が「ワー」と湧いていた。なんかナチズムを見ているようで嫌だった。私自身はあまり感じなかったが、現地の様子がカナダの応援一辺倒だったという感想もあるらしい。

アメリカトヨタ叩きに忙しい。

プーチンは金メダル3個で少ないと怒ったとか・・・・(別にいいじゃん)

石原が何とか言ったけど鳩山はそういうこと言うキャラじゃないのが、この場合はまあいいかもしれない。

世界中が軍国主義・ファシズム・カルトに突き進んでいくような気さえする。

国威高揚なんてあほくさくてかなわん・・国威高揚にオリンピックを利用する、若者を利用する、そして儲ける。一石三鳥ですか・・・・・

付き合いきれんわ~

 


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金融のしくみの本当のからくりを覗いてみる。 [本]

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った (5次元文庫 あ 3-1)

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った (5次元文庫 あ 3-1)

  • 作者: 安部 芳裕
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2008/09
  • メディア: 文庫
著者は金融システム設計者の意図にきづいたきっかけとして、1999年、NHKで放送された『エンデの遺言』という番組をあげている。
読んだ時に一瞬タイムスリップしたように感じた。私も見ていたからである。著者はお金のシステムそのもに問題があること、地域通貨という試みが行われていることを知り、地域通貨グループを立ち上げたという。私も地域通貨を知り、ほんの小さな勉強会をしたことがあった。
読み進むうちに長年の疑問がきちんと整理されていくようで、なにかすっきりしていく面持ちだった。整理されていく事柄のひとつひとつは決して愉快な事柄ではないが。
20代の頃から抱いてきた 銀行は他人の褌で相撲を取っているという感覚、学校で教えられている社会、経済の概念は現実に即していない絵空事という感覚が全く正しかったと思った。最近、広瀬隆氏の「赤い盾」を苦労して読んだので、歴史の裏が実によくわかった。私自身恥ずかしながら、社会科の教員の免許を持っているのに社会を教えられないと思ってきた。嘘は教えたくない。直観的にはうすうす感づいていたものを整理して目の前に出してくれて感謝したい気持ちだ。
ロスチャイルドというとあまたの陰謀論(実に様々なおまけがついている)と一緒にされてしまうかもしれないが、著者も述べている通り、国際金融資本とその同盟者は実に周到な計画を立てて、それを根気よく何代にも渡って彼等の理想とする社会を作り上げようとしてきたのだ。これを陰謀という言葉で受け流してしまっては大樹の葉っぱだけを見ているようなものだ。
ホームページもある。こちらは少し前から知っていたが、じっくり読むことができなかった。やはり私は活字で育った世代のせいか本の方がやっぱり落ち着く。
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